the End of AnimeLife

『あまちゃん』感想文エッセイ同人誌を出しました http://eal.hatenadiary.jp/entry/amaj

あまちゃんとエヴァと漫画

 2013年9月に終了した、朝ドラ(NHK朝の連続テレビ小説)、「あまちゃん」について、何か書いて残しておこうと思う。
 自分が「あまちゃん」を見るようになったのは、ツイッターで「あまちゃん」に関する話題が盛り上がっていたのを目撃したからだった。ドラマの感想、考察、無数にちりばめられた小ネタの分析、視聴者同士の会話など。それらの語られ方、傾向が、他の話題作と比べて、エヴァンゲリオンのそれに似ていると感じた。テレビ番組のなかでメジャー志向が高いと考えられている朝ドラであるはずが、どうやらエヴァっぽい楽しみ方をしている視聴者がいるらしい。
 自分もエヴァが好きだし、それならば自分も楽しむことができるだろうということで、「あまちゃん」を見始めた。なるほど、エヴァをリスペクトするような内容では決してないのだが、これは面白い。
 乱暴にいえば、おたく好みの作品だ。すべての視聴者がそうではなかっただろうが、例えば、アニメに詳しいお笑い芸人のサンキュータツオが書く「あまちゃん論」(2013年5月11日, あまちゃんの今後(妄想)と「萌え」の問題, サンキュータツオ教授の優雅な生活, http://39tatsuo.jugem.jp/?eid=1233)を読むと、理屈っぽく(おたく的に)語ることが可能な「あまちゃん」は、自分を含む、そういう層でブームになるだろう(多くの「あまちゃん論」が書かれることになる)と予感できた。サンキュータツオの論を読んで、自分も勢いでツイートした。

これまでにも過去のアイドルを語った物語はあったが、あまちゃん世界が我々アイドルファンにとって「偽史」(もうひとつの世界)たりえるのは、簡単に言えば、パロディや引用センスの卓越さだ。中田健太郎氏の発言を応用すれば、物語としての「アイドル」とは常に完結せず、TV版本編(ここでは現実世界)においても「定本」は存在しない。定本がないのにも関わらず、我々ファンは「アイドル」について良く知っている(あくまでもメディアを通してのアイドルを指す)」(参考文献『ユリイカ 2013年5月 特集=鬼束ちひろ』)
http://togetter.com/li/504523

 しかし自分は、もう論述のようなものは書けないので、上記のような文章を続けることはできなかった。これを書いたのは、アキの母親である春子が青春時代にアイドルにハマっていたというエピソードが放送された頃(5月13日)で、それから自分は「あまちゃん」を毎朝見る視聴者になったのでした。
 自分はテレビドラマが好きではなく、めったに見ないのだが、「あまちゃん」は面白いと感じた。テレビドラマによくあるような、気取ったところがない、喜劇だからという理由もあっただろう。ドラマの内容と関係のない、コントのようなやりとりが面白かったし、アキの母親を演じる小泉今日子がアイドルだった頃のネタも、当時を知る自分にとっては懐かしくもあった。そして、登場人物の会話やキャラクターが心地よかった。
 一言で言えば、自分は「あまちゃん」をアニメや漫画のように楽しむことができた。それは、登場人物のキャラクターが漫画のようだ、ということだ。
 喜劇だから漫画なのは当然のことだろうが、言い換えれば、喜劇ではないテレビドラマのほとんどは漫画のようではないので、自分は見ないのだろうと感じている。漫画のようだという形容は、一般的には低俗で下らないという意味で使用されることがあるが、アニメや漫画を見て育った自分にとって、漫画のようだというのは一級の褒め言葉だ。もはや漫画やアニメを見ない自分なのだが(エヴァンゲリオンの新作アニメとファイブスター物語だけはチェックしている)、そういう思いは、ある。
 アニメ以外に興味が沸かないと豪語するアニメ雑誌編集者の小黒祐一郎も、アニメっぽいという理由で「あまちゃん」を見ていたのだという。これは自分がツイッターにて直接きいた話だ。

アニメじゃないからハロプロに興味がないアニメ様でも、あまちゃんにはハマっているらしい。やはり作りがアニメっぽいからか?
http://twitter.com/moegino/status/336259397690982400
@moegino 鋭い!
http://twitter.com/animesama/status/336306986247417856