発売 2014-03-10
ミラージュ騎士団新設定公開(騎士パーソナルカラーなど)
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Newtype (ニュータイプ) 2014年 04月号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2014/03/10
- メディア: 雑誌
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発売 2014-03-10
ミラージュ騎士団新設定公開(騎士パーソナルカラーなど)
Newtype (ニュータイプ) 2014年 04月号 [雑誌]
永野護、待望の最新デザイン集「F.S.S. Designs4」
「ファイブスター物語」の唯一・最強オフィシャルガイド第4弾は、ニュータイプ連載再開後の今後を導く羅針盤となる、超重要な一冊!
まーちゃん握手会に行ってきたのでブログにレポを書こうと思ったのですが、ツイートした以上のことが書けないので、まとめました。
お会いした方々などのツイートも入れてあります。久しぶりにTogetterを使ったので、作成するのに時間がかかりました。本当はまーちゃんのブログがアップされてから公開しようと思ったのですが、彼女はなかなかブログ書かないんですよねえ。
ほとんど現場に行かない自分が初めて参加したハロプロ握手会。終始まーちゃんトーク全開で楽しかったです。昨年はあまちゃん漬けだったのですか、これで自分もハロヲタに復帰するかもしれないと感じました。でも、ハロプロツイッターまとめを再開する予定は今のところありません。
富野監督が失望したことについて。
震災後の描き方が生ぬるいという指摘もあった。否定はしない。しかし、そもそも、震災を描くとは、どういうことなのか。震災と被爆を合わせて描かなかったことが問題なのか。
ぼくのいとこが相馬市で子を生んで育てているけど、被爆云々について話したことは一度もない。知らないことはないだろうし、でもだから、話をしたくない。
筆者には、震災について深く書くことは、何もなかった。それが、このドラマを見た感想のひとつだった。
冬コミにてあまちゃんコピー誌を頒布します。これまで発表した2冊をまとめて、さらに書き下ろしの文章を掲載。現在執筆中。12月31日「はなごよみ」西ら-46a(http://twitcmap.jp/?id=0085-3-RAh-46-a)にて。詳細は後日。
以下の文章は、あまちゃん同人誌アウトテイク。
周囲を明るくしてしまう天性の持ち主であり、こうと決めたら一直線に猛進する。天野アキはそんな女の子だ。そして、東北訛りが可愛らしい印象だ。アキの訛りは生まれつきのものではない。生まれも育ちも東京であるアキは母親の春子の故郷である岩手県の北三陸に移り住んで、そのまま短期間で地元の訛りを覚えてしまった。春子は訛っていないので元々は標準語だったアキなのだが、数ヶ月ですっかり北三陸の人間となってしまった。アイドルになるべく再び東京で生活するようになっても、北三陸の訛りは抜けず、もはや標準語を話せない田舎者となってしまったアキ。初出演のドラマ収録で訛りが抜けずに、何度も失敗してしまうほどであった。
アキは東京出身なのに、訛りが抜けないのはなぜなのか。アキの訛りは方言コスプレではないのかという意見をみたことがある。方言コスプレとは、可愛らしさやキャラ作りのために、実際の会話やウェブなどでわざと方言を使うという、若者の流行のことだ。荒巻プロデューサーが意地悪く、キャラ作りのためにわざと訛っているのかとアキに質問していたシーンもあった。
アキの訛りは「作られた」ものには違いない。しかしアキの場合、そうなるべくしてなったのだ。東京でのアキは、地味な少女だった。あまりにも地味すぎて、いじめられることさえなかったという存在感のない人物だった。そのような少女が、北三陸の風土や地元民に感化され打ち解けていく。次第にアキは、底抜けに明るい少女に変わっていった。アキは北三陸で生まれ変わったのだ。
東京で暮らしていた頃の、暗くて地味な少女には戻りたくない。そういうアキの思いがある。だからアキは北三陸の住人となった。その証が、訛りなのだ。アキにとって訛りとは、無意識のうちに身につけた心理的な防衛策、生きるための手段だったのだ。
冬コミ参加予定
31日「はなごよみ」http://twitcmap.jp/?id=0085-3-RAh-46-a
何か新しい本を出すかも?
以下の文章は、あまちゃん同人誌アウトテイク。冬コミhttp://twitcmap.jp/?id=0085-3-RAh-46-aで何か新しい本を出すかも?
『あまちゃん』は登場人物が多い。そしてキャラクターが濃い。美形ばかりが揃ったオールスターキャストとは少し異なるが、主役クラスが集まっていることに間違いない。これが筆者がこのドラマに圧倒された理由のひとつだった。
『あまちゃん』を語る上で、圧倒的な情報量がすごいという評価があった。
『あまちゃん』は語らずにはいられない作品だったという。どうして様々な語りが生まれたのか。『あまちゃん』の何が他と違っていたのか。それで思い出すのは『エヴァンゲリオン』のブームだ。
まず、圧倒的な情報量が『エヴァンゲリオン』に似ていると感じた。物語の骨子は、アキの母親の春子が過去を清算すること。そして、アキが地元のアイドルになることだ。しかし、このドラマには、骨子以外の多くの情報が含まれている。展開が速いし台詞も多い。宮藤官九郎作品でおなじみの小ネタも膨大だ。
朝ドラは、家事を行う主婦層に向けて画面を見なくても内容が分かるように作られている。前回のラストを冒頭に入れなければならない。ただでさえ15分でやれることは少ない。そう考えられてきた。そこで宮藤がやったことは、とにかく圧倒的に詰め込む。そして、要らない部分はばっさりと切る。それも『エヴァンゲリオン』に似ていただろう。
しかし、自分が感じた『あまちゃん』と『エヴァンゲリオン』との関連とは、実はそれほど重要ではない。『エヴァンゲリオン』ではない他の作品との関連のほうが密接だということもあるだろう。どうしても『エヴァンゲリオン』に絡めなければならない必然性は特にない。自分が知っている作品が、たまたま『エヴァンゲリオン』だった。それだけの話だ。だけど、だから自分は『エヴァンゲリオン』に例えることしか出来ない。
以下、筆者が『あまちゃん』と『エヴァンゲリオン』が似ていると感じる点。
アキの猫背
アキの髪型が綾波レイに似ている
「分かる奴だけ分かればいい」
圧倒的な情報量の多さと過去からの引用
その元ネタ探し
ヒットの要因のひとつに視聴者の深読みがある
語らずにはいられない
表のドラマと並走する裏のドラマ
繰り返しの物語
成長しない主人公(あまAで書いた)
「アキちゃん可愛い」だけでもいいし、物語の謎を考察もする(これは中森明夫が自分が見つけたことだと主張しているが視聴者はみんな気づいてた)
ドラマの感想、考察、無数にちりばめられた小ネタの分析、視聴者同士の会話など。それらの語られ方や傾向が、他の話題作と比べて、『エヴァンゲリオン』のそれに似ていると感じた。テレビ番組のなかでメジャー志向が高いと考えられている朝ドラであるはずが、どうやら『エヴァンゲリオン』を見るような楽しみ方をしている視聴者がいたらしい。
筆者は『エヴァンゲリオン』が好きだし、それならば自分も楽しむことができるだろうということで『あまちゃん』を見始めた。なるほど、『エヴァンゲリオン』をリスペクトするような内容では決してないのだが、これは面白い。
すべての視聴者がそうではなかっただろうが、乱暴にいえば、『あまちゃん』は、おたく好みの作品だ。
例えば、アニメに詳しいお笑い芸人のサンキュータツオが書く「あまちゃん論」(2013年5月11日, あまちゃんの今後(妄想)と「萌え」の問題, サンキュータツオ教授の優雅な生活, http://39tatsuo.jugem.jp/?eid=1233)を読むと、理屈っぽく(おたくのルールで)語ることが可能なこのドラマは、ブームになるだろう(多くの「あまちゃん論」が書かれることになる)と予感できた。
ファンによるファンのための同人誌(のような商業誌)「あまちゃんファンブック」にも、そのようなおたく視点がみられたのは、非常に好ましい。
筆者が『あまちゃん』を見るようになったきっかけのひとつは、「あま絵」だった。多くの漫画家がツイッターで『あまちゃん』を実況していた。自分が視聴者のツイッターを楽しいと感じたきっかけは、青木俊直とこなみ詔子の「あま絵」だった。『あまちゃん』の登場人物を思い思いに描く「あま絵」。自分が最初に見た「あま絵」は、青木俊直による主人公アキの絵だった。彼女の特徴である猫背が可愛らしく描かれていた。それを見て、『エヴァンゲリオン』に出てくるロボット「エヴァ初号機」に似ているなあと少し感じた。エヴァ初号機も猫背が特徴だ。その後、その青木の絵を模した、アキを初号機に見立てた「あま絵」もアップされていて、そういう受容のしかた、面白がりかたがアニメファン(おたく)のようだと感じた。実際にアキは猫背で、演ずる能年玲奈も猫背だということを後で知った。
単に猫背だという、最初はその程度のことだった。毎朝、ツイッターのタイムラインと合わせて『あまちゃん』を見ていて、『エヴァンゲリオン』に似ていると感じる点があった。ロボットは出てこないし人類補完計画も存在しない。しかし、そういうことではない。それは、繰り返しの物語だということだ。
台詞の繰り返し。誰かが言った印象的な台詞を、ほとんど一字一句変えずに別の誰かが言う。そのことで視聴者は「この台詞って以前に誰かが言ってた」と笑いが起こる。春子が言った台詞をアキが言う。夏ばっぱが言った台詞を春子が言う。
方言「じぇ」についてアキが海女軍団に訪ねた「もっと驚いたときは?」「じぇじぇじぇ」「増えるんだ!」、これが後にGMTメンバーもアキに対して繰り返す。忠兵衛の「ここが一番いい場所だってことを」も種市先輩が繰り返している。他にも無数にある。
『あまちゃん』では、同じシチュエーションが何度も繰り返される。そして、生き方も繰り返す。かつて春子が田舎を毛嫌いして都会に憧れ、そしてアイドルになりたいという願望を、ユイは繰り返す。子育てに失敗したという夏ばっぱの無念を、春子は繰り返す。
それらは、しつこく繰り返される。
繰り返しという言葉は、悪い意味で使用されることが多いような気がする。「同じあやまちを繰り返す」「不毛な議論が繰り返される」などだ。ただし、繰り返しが気持ちいいこともある。例えば、ミニマルミュージックがそうだ。映画『ゴジラ』のテーマ曲のように、短いメロディを延々と反復するものをそう呼ぶ。アニメ『となりのトトロ』のBGMにもある。YMOの「体操」も。いわゆる「癖になる」というやつだ。
『エヴァンゲリオン』は繰り返しの物語だと、庵野秀明は言った。
「エヴァ」はくり返しの物語です。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。庵野秀明総監督 所信表明 : みんなのエヴァンゲリオン(ヱヴァ)ファンhttp://neweva.blog103.fc2.com/blog-entry-26.htmlより引用
庵野の言葉を借りると「『あまちゃん』はくり返しの物語です。主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です」ということに、なるだろうか。
この文章は、押井さんid:ositoの話をヒントにして書いたメモです。あまちゃん同人誌アウトテイク。冬コミhttp://twitcmap.jp/?id=0085-3-RAh-46-aで何か新しい本を出すかも?
ぼくが感じたのは、『あまちゃん』には普通のテレビドラマによくあるような、気取ったところがないということ。この、気取りとは何なのかについて。
普通のテレビドラマを見て感じるのは、出演者やスタッフが勘違いをしているのではないのかということだ。実際にはテレビドラマなどそれほど大したものでもないのに、自分たちは格好いいことをやっていると、ぼくの目には映ってしまい、それで白けてしまう。いわゆる上から目線のようなものを感じて、不愉快になる。
この感覚が何かに似ていると感じた。ぼくの知り合いに居ない、いわゆる「リア充」と呼ばれる人達に対する嫌悪感だ。ここでの「リア充」の定義は、ウェブこそが自分の居場所であるなどと考えない、普通の社会生活や交友関係で満足し、「おたく」を下に見ている人達だ。ぼくは自身を「おたく」に属していると感じていて、「リア充」とは敵対する、自分たちと異なる人種だと感じてしまっている(実際にそのようなことはないのかもしれないが)。普通のテレビドラマとは、そのような「リア充」による「リア充」のためのコンテンツなのだ。要するに、普通のテレビドラマには「おたく」を刺激するツボが無いので、ぼくにとって退屈でつまらない。普通のテレビドラマは、自分とは関係ない世界の話だということになる。
しかし、「リア充」も『あまちゃん』を見ていたはずだ。NHKの朝ドラだから、多くの人達が見ていたはずだ。『あまちゃん』の面白さについては、「リア充」がどうこうでは説明できない、何か別の理由があるだろう。