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the End of AnimeLife

『あまちゃん』感想文エッセイ同人誌を出しました http://eal.hatenadiary.jp/entry/amaj

あまちゃんはキャラクターだ

 漫画原作者小池一夫は、「あまちゃん」についてツイッターで以下のような発言をしていた。

嬉しい事と淋しい事の二つ。40年もキャラクターの研究をし、キャラクターを創り、キャラクターマン講座で教えてきた僕にとって、NHKの「あまちゃン」が最高の人気を取り「半沢直樹」も遺憾なくキャラクター性を発揮している。キャラクター論が今の時代にピタッと来た事が殊の外嬉しい
2013年9月16日
http://twitter.com/koikekazuo/status/379538896675037184

 このツイートは自分が作成したまとめページにも載せたので、よかったら見てください(トゥギャッター「あまちゃん9月16日」http://togetter.com/li/564690)。
 まずお断りしておくが、小池は「ん」を「ン」と書く。理由は小池自身が明かしたくないらしいのだが、必ずそうしている。なので、小池が書くと「あまちゃン」になるようだ。
 「半沢直樹」とは「あまちゃん」と同時期に放映されたTBSのテレビドラマで、復讐のためなら手段を選ばず相手を追い詰めるクールな銀行員、半沢直樹の活躍を描いていて、半沢の決め台詞である「倍返しだ」は、「あまちゃん」での「じぇじぇ」と同様に、ウェブでの流行語にもなっていた。「半沢直樹」はシリアスなドラマだったが、キャラクターは漫画的であった。ドラマや実写映画における漫画的なキャラクターとは、要するに大袈裟で戯画化されたものであると自分は考えている。決めの台詞があることも漫画としては重要だ。
 小池の著書『小池一夫のキャラクター新論』(小池書院、2011年)によると、漫画で最も重要なのは(ストーリーよりも)キャラクターの魅力であり、ヒット作には必ず魅力的なキャラクターが存在するので、漫画家は優れたキャラクター作りに尽力を注ぐべきであると主張している。キャラクターの魅力こそが漫画において最も重要だと主張し続けてきた小池は、「あまちゃん」や「半沢直樹」のヒットの要因が、これまで自らが主張してきたキャラクター論に即した(キャラクター論が広範に応用された)結果だということを感じている。
 先に挙げた小池のツイッターでの「嬉しい事と淋しい事」とは、自らのキャラクター論が漫画以外のジャンルにおいても有効であったという自負と、なぜそれがテレビドラマではなく現状の漫画作品から出てこないのかという悔しさであったのだと、自分は感じている。
 小池がキャラクターにこだわるのは、長年の漫画原作者としての経験から導き出した結論だった。小池は何十年も前から、漫画とはキャラクターであると繰り返し主張してきた。それは多くの弟子に伝えてきたし、私塾を開いてまで熱心に広めてきたことだった。長年の経験から小池は、漫画とはキャラクターが魅力的でなければヒットしないと主張する。この著書で小池は、売れない頃の自身の作風はドラマ志向であったが、ある編集者から「君にはキャラクターが足りない」と激しく指摘され、それ以来キャラクターとは何かと試行錯誤を繰り返し、現在のキャラクター論にたどり着いたのだという。小池のキャラクター論とは、漫画やアニメなどに留まらず、広範に応用されるべきだし、事実そのような事例(キャラクター化される芸能人など)も確認していると、小池自身が著書で述べている。
 「あまちゃん」の人物造形が漫画のようだった。漫画のような人物とは、小池に言わせればキャラクターとして魅力的であることを指す。これまでにヒットしたドラマや映画が「漫画のよう」ではない例は、いくらでもあるだろう。しかし「あまちゃん」は漫画であった。正確には、漫画的(キャラクター性)なものがヒットの要因であったと、自分は感じている。
 「あまちゃん」のどこが漫画的だったのか。主人公のアキが現実にはあり得ない「バカ」だったり、物語と関係ないコントのようなやりとりが続くことや、状況説明にアニメーション(お笑い芸人の鉄拳が作画)を用いることなど。また「分かる奴だけ分かればいい」と開き直った無数の小ネタなどは、コマの隅に書かれるようなものだったかもしれない。
 「あまちゃん」はアキの物語であり、母親の春子の物語でもあった。それらの物語は、アキというキャラクター、春子というキャラクターがあのようなものだったから展開した。言い換えれば、物語そのものは壮大なものでは決してなく、アキだからこうなった、春子だからこうだ、というようなもので、つまりそれは、キャラクター重視だ。アキは海女を目指しながら地元のアイドルになり、やがて東京で芸能人になるが、それも辞めて地元の再建をやりつつ、また再び地元のアイドルになりながら海女もやる、というように、気の向くままにやりたい放題だ。気の強い春子はアキを振り回しつつ帰省先の北三陸で騒動を起こし、再び上京して女優・鈴鹿ひろ美と酒を飲んだり、アキのために素人ながら芸能事務所を立ち上げたりと、強引に行動する。それらは、漫画でいうところの「キャラクターが勝手に動き出す」に近いものだった。
 ここまで書いてきたことをふまえつつ、一言ではっきりと漫画だと分かる理由。それは、視聴者が「キャラクターの名前を覚えている」ということだ。

たとえば、『日本沈没』『点と線』『失楽園』など、ヒットした小説でも、主人公の名前はなんだったかと聞かれると、ほとんどの人が覚えていない。でも、漫画はキャラクター名が出てくる。『巨人の星』は「星飛雄馬」で『あしたのジョー』は「矢吹丈」。それが、答えなんです。漫画の場合はキャラクターが重要なのです。キャラクターの魅力がほとんど全てといっていい
小池一夫、前掲書)

 漫画の魅力とは、読者がキャラクターの名前を覚えていることだと小池は言っている。それは「あまちゃん」にも当てはまる。視聴者は「あまちゃん」の登場人物の名前を、ほとんどすべて覚えているだろう。アキ、ユイ、ストーブさんと呼ばれるヒロシ、春子、夏ばっぱ、ブティック今野の弥生さん、メガネ会計ババア、美寿々さん、まめぶの安部ちゃん、駅長の大吉さん、副駅長の吉田くん、いっそん、南部ダイバー種市先輩、琥珀の勉さん、ミズタクこと水口琢磨、太巻こと新巻太一。
 まだまだ沢山いるが省略する。ここで気づくのは、アキとユイ、そして春子以外のサブキャラクターの多くに、愛称が付けられていることだ。癖のある俳優たちが演じるそれらのキャラクターは、それぞれが主人公になり得る程度の個性と存在感を備えていて、視聴者が彼らを愛称で認識している。いっそんの本名が磯野心平であることを多くの視聴者は忘れているかもしれないが、いっそんといえばこういうキャラクターだということは強く印象付けられている。キャラクター化されるというのは、そういうことなのだと思う。
 例えばアイドルタレントであれば、トシちゃんやマッチなど、愛称が存在している。例外もあるが、芸能人や有名人が愛称で呼ばれることとは、親しまれている(広く知られている)証拠だろう。小池のキャラクター論を応用すれば、愛称で呼ばれるタレントとは、キャラクター化された状態だ。キャラクター化とは、キャラクター論として成功を意味する。だから、「あまちゃん」の登場人物が愛称で呼ばれていることは、それぞれのキャラクターが「立って」いる(確立され認識されている状態)だ。
 それは、視聴者のツイッターでもさんざん書かれたように、スピンオフ作品(番外編)を想像させる。ミズタクが主人公の「あまちゃん番外編・マネージャー水口琢磨」を見たいと思わせる。キャラクター化には、そういう力があって、それは「漫画として」非常に好ましい。

 スナックで繰り広げられるコントのようなやりとりは、主に舞台で活躍する俳優たちの力量によるものだと考えられる。台本にきっちり台詞が書かれていた一方で、多くのアドリブがそのまま採用された。
 主役を務めるフレッシュな新人女優と、脇を固める癖のある役者たち。「あまちゃん」の撮影現場では、台本に書かれた台詞が終わっても、そのままカメラをまわし続け、役者がアドリブでやりとりするという(実際に放送された)笑いを誘うシーンがいくつかあったという。それが可能だったのは、舞台経験の多い達者な役者たちの技量であり、それに負けじと食らいついた能年玲奈の天性の才能もあったのだろう。

 ところで、アキ、ユイ、ヒロシ、この三人にはそれぞれ漢字の本名がある。天野アキは天野秋、足立ユイは足立結衣、足立ヒロシは足立洋だ。これはドラマ内で書類に名前を記入する描写で確認できる。しかし、番組のテロップや字幕では、すべて片仮名の名前で表記されている。これはどういうことなのか。エヴァンゲリオンからの引用なのだろうかと考えたのだが、エヴァでは脇役まですべての登場人物の名前が片仮名だ。しかし「あまちゃん」では、この三名のみが片仮名の名前なのだ。
 「あまちゃん」が漫画的、キャラクター論の産物であることを理解できれば、その疑問は解けてくる。それはウェブ時代の「キャラクター化」に必要だったということだ。ごく簡単にいうと、片仮名のほうが固体認識しやすいということだ。つまり、ツイッターなどで書く際に「秋」よりも「アキ」のほうが、キャラクターとして認識しやすい(されやすい)ということだと考える。「秋」は季節の秋であると一般的には考えられているし(秋という名前の者は実際にいるかもしれないが)、それよりも片仮名の「アキ」のほうが人名だと想像しやすい。「ユイ」はアキとペアとなる主役であるから、対にした(片仮名にした)のだろうと考える。けれど、ヒロシがどの程度重要だったかは、今となっては定かではない。当初の予定では主役級だったのかもしれない。実際には、視聴者のツイッターなどではドラマ内で使われていた「ストーブさん」という愛称が広く用いられていて、イケメンなのにモテない残念な人物として見事にキャラクター化された。だから、まあ残念だけど仕方ないのかもしれませんね。